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毎年テーマを決めて月に1本ずつブログをアップしていきます。今年は伝説の生き物です。
2024年も最後の月を迎えてしまいました。能登半島地震、国政選挙や知事選、国外では拡大する紛争等、考えさせられることの多い一年でした。
今年は「伝説の生き物」をテーマに取り上げましたが、それらの多くは架空の存在ながらも日常に溶け込んでおりました。 今年最後に取り上げる「麒麟」も、伝説の生き物としては漠然としたイメージですが、かなり身近な存在です。某ビールメーカーや数年前の大河ドラマのタイトル、お笑い芸人さんのコンビ名等、あれこれ用いられております。が、その姿はビールメーカーのラベル以外ほとんど想像できません。
「麒麟」は鳳凰・龍などと同様の、古代中国の神話に出てくる伝説上の霊獣です。千年も生きるといわれ、容姿や特徴については様々で、麒麟の発祥地である中国でも、時代や地域によって異なります。文献に残されている記述では、「身体は鹿、尾は牛、1本の角がある」というような表現が多く見られますが、なかには獅子や馬のような体つきだったり、翼を持っていたり、角が2本ある麒麟の彫刻や絵画なども現存しています。
普段の性質は非常に優しく、足元の虫を踏んだり、草を折ったりすることさえ恐れるほど殺傷を嫌っているので、地に足を下ろさず、常に空を翔けているのだとか。また、良いことがある前触れとして姿を現し、幸せを招く存在、安定した穏やかな日々をもたらす幸福の象徴とされているそうです。
そして、古くからの言い伝えでは、「仁の心を持つ聖人が出現する前兆として現れる」、「王が仁のある政治を行う時に現れる」などと語り継がれ、他者への思いやりを持った仁獣(仁徳を備えた獣)とされています。
中国の思想家「孔子」は、「仁」をあらゆる教えの根本にしています。「仁」とは、「自分がしたくないことを人に押し付けない」、「人を思いやり、人を尊重する」ことであると考えられます。
平和で穏やかな日々をもたらす幸福の象徴、そして仁獣である麒麟。その到来を待ちわびつつ、できるだけ「仁」を心に留めてみようと思う今年の師走です。
【参考】https://www.nohkai.ne.jp/tyorei/?p=2701
【画像】https://museum.kirinholdings.com/cruise/vol4.html
2024年もあと2カ月弱。 元日の能登半島地震に始まり、国内外で厳しい状況が続く一年ですが、貴重な秋の涼やかさを感謝しつつ過ごしたいこの頃です。
11月といえば七五三、酉の市など、神社仏閣を訪れる機会が多いかと思います。今回は神社を訪れると、左右に出迎えてくれる「狛犬」について調べてみました。
狛犬の起源は、現在の中東にあたる古代オリエントと言われており、最強の守護獣として国王の玉座などに刻まれていた獅子(ライオン)が始まりと考えられています。古代エジプトのスフィンクスも獅子がモチーフなので、歴史のつながりを感じます。そこからローマ、インド、中国を通り、朝鮮の高麗を経て日本に入ってきたという説が有力のようです。平安時代には宮中で魔除けのために用いられていたと言われています。姿かたちは徐々に変化しているようで、当初は左右共通の2頭の獅子像だったそうです。徐々に左右非対称な姿に変化し、獅子の片方は角を持った犬へと変わり、口の開き方も、宇宙の始まりから終わりを表す言葉とされる『阿吽(あうん)』を表現するようになりました。
やがて日本中の神社に広がり、屋内から屋外に設置されるようになったようです。神社では参道を守り、魔除けの役割を担っています。屋外に設置された狛犬は耐久性を考えて、石製、青銅製、鉄製などが多く、陶器製で作られたものもあります。正確には右側が「獅子」、左側が「狛犬」とされており、オスとメスで一対になっているとも考えられています。よく見ると玉を抑えた「玉取り」や子ども連れの「子取り」、お尻を持ち上げ威嚇しているような狛犬など、実はさまざまな様式があるようです。
はるばる古代オリエントから様々な地域を通り日本に根付いた狛犬。多種多様な文化を背負いながら佇んでいる姿を、改めて再確認したくなりました。
街歩きに最適な季節、狛犬と紅葉を探しに出掛けたいと思います。
【参考】https://grandhood.jp/staff-blog/mythology/mythology07/2023102013145.html
【画像】https://mikata-labo.com/asakusajinja-pawa-supotto-goriyaku
今年もあと3カ月となりました。国内外で政治も動き、郵送代も大幅値上げとなり、わずかの期間で変化が渦巻いているようです。
そのなかでも、地震の復興もままならないなかで再び被災された能登半島の方々はじめ、各地で被災された方々が一刻も早く安心して暮らせるようお祈りしております。
さて、今回は10月末のイベント、ハロウィンを取り上げます。すっかり当たり前になってしまいましたが、この世のものではないお化けやら魔女やらのコスプレが溢れているので外せません。
8月下旬頃から店頭にはハロウィングッズが並び、すでに国民的な行事なのかと思わされます。季節的には日本の秋祭りとヨーロッパ風のお盆が合体したような感覚で、なじみやすいのかなと想像しております。
ハロウィンの起源は紀元前のヨーロッパで広範囲に居住していた古代ケルト人のお祭り「サウィン」に由来します。ケルトの暦は冬の始まりの日である11月1日から新しい年になり、その前日の夜には、古い時と新しい時、闇と光、あの世とこの世が混じり合うと考えられていました。
そのため、10月31日は死者のことを思い、あの世から訪れた死者をもてなして供養する日として大切にされていたそうです。その後、ローマカトリックが11月1日を諸聖人の日「All Hallows Day(オール・ハロウズ・デイ)」と定めたため、「All Hallows Eve(オール・ハロウズ・イブ)」と呼ばれるようになり、「Halloween(ハロウィン)」という言葉に変化していったと考えられています。
ハロウィンといえば仮装が有名です。ハロウィンには先祖の霊だけでなく、悪魔や魔女なども死後の世界からやってくると考えられているため、同じような格好に扮装して仲間だと思わせることで身を守ったそうです。 その後、発祥の地とされるアイルランドから多くの国に伝わりますが、それぞれの国の文化と融合して独自の発展を遂げているのが特徴だそうです。アメリカでは宗教性のないイベントとして親しまれ、ハロウィンの日は家をホラー風に装飾してホームパーティーを開催したり、仮装をするなどして楽しみます。日本で親しまれているハロウィンは、アメリカから伝わった楽しみ方といえます。
いまの世の中は、まさに古い時と新しい時、闇と光が混じり合っているように感じられます。 異なる文化のお祭りも広く長く楽しめる状況であって欲しいです。
【参考】https://uchi.tokyo-gas.co.jp/topics/5277
【画像】https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/351
酷暑と落ち着かない天候が続く毎日ですが、9月に入りました。
9月といえば、以前はそろそろ秋の気配を感じられる時季でしたが、今では侮れない暑さが続く夏の延長戦といった感覚です。それでも店頭には秋の風物詩である「お月見」の名前を冠したお菓子やバーガー類が登場する季節となりました。暑さに疲れ、目や耳だけでも秋を先取りして落ち着きたい。そんな気持ちを代弁してくれるようにも思えます。
お月見で想像する伝説の生き物といえば、月でお餅をつく「うさぎ」です。ものごころついた頃から見聞きしている言い伝えですが、この「うさぎ」は「月兎」(げっと)や「玉兎」(ぎょくと)と名付けられております。
月の表面の黒い部分の見え方が地域によって変わることはよく知られておりますが、中国・韓国・日本等は「うさぎ」、モンゴルは「犬」、アラブでは「ライオン」、ヨーロッパや南米では「カニ」、「女性の横顔」、「ロバ」、「ワニ」、など様々です。
なぜ「うさぎ」なのか、調べてみますと古代のインドにたどり着きます。月は古代の人々にとって重大な関心事だったようで、多くの地域で月が「死と再生」または「豊穣」のシンボルとなっています。欠けて消滅した後、再び現れるという月の性質が、生死の問題や植物の生育と関連づけられたようです。月が万物を支配するという考えは、古代のインドにとって大事な思想の一つでした。「うさぎ」も繁殖力が強いことから、豊穣のシンボルとなり、似たような意味をもつ月と関連するようになったと考えられ、「うさぎ」と月を結びつける有力な説となっています。
そして、「うさぎ」の餅つきの由来はというと、古代中国では「月のうさぎは杵と臼で不老不死の薬を作っている」との伝承が関係します。「不老不死の薬」が、なぜ日本では餅になったのかについては諸説あるそうです。
「うさぎが食べ物に困らないよう餅をついている」、「満月を意味する望月(もちづき)からきている」などですが、おそらく日本人がお米好きでお餅好きだからかなぁ、などと考えたりもします。
令和の米騒動とニュースで騒がれております。今年は、お餅をついているうさぎが羨ましくなるような、いつもよりもお米の大切さを噛みしめるお月見になりそうです。
【参考・画像】https://sites.google.com/site/moonrabbitenceladus/jade_rabbit_india
日中に屋外を歩けば熱波が激しく、オーブンに入れられた具材の気分であり、日が沈んでもアスファルトはまるで岩盤浴の蒸し暑さ。 冷房無しでは暮らせない毎日となりました。
とりあえずは、帽子と日傘で防御する筆者ですが、涼感を得られる首輪やハンディ扇風機も手に入れたいと考えているところです。が、その前に、軽くて持ち歩き便利でオーソドックスな扇子もよいなぁと、あれこれ調べていると、ある画像にたどり着きました。「付喪神」の一種と紹介されておりましたが、16世紀の室町時代にまとめられた『付喪神絵巻』に登場する扇子の姿をした妖怪です。
更に画像を検索してみると、扇子を手にする妖怪がゾロゾロ出てきます。こちらは江戸末期に描かれた妖怪たちです。
おどろおどろしさはなく、ちょっとかわいげのある妖怪たち。よくよくみればかなりの形相ですが、暑さにうだる自分と重なり親しみが持てます。室町時代から江戸末期までの、ふるくは400年以上の時を超えて、共感を得られる楽しさを味わえました。
「付喪神」(つくもがみ)とは、古い器物に霊が宿って誕生する妖怪の総称であり、「九十九神」とも表記します。
「九十九」の文字には「長い時間(九十九年)や経験」「多種多様な万物(九十九種類)」などを象徴する意味合いが込められております。
「器物は100年経ると化ける」と言ういいつたえがあり、かつては古い器物を九十九年で捨てる事が多く、多くの古い器物が「あと一年で命を得られたものを」と恨みを抱いて妖怪に変貌したと言う故事にも由来しているそうです。
名称に「神」が付いている事から、妖怪ではなく神の類ではないかという説もあるそうで、万物に魂が宿るとする、アニミズムの一種だとも考えられています。
自分が使っている道具が100年後に残るとは思えないので、昔の人々は大切に丁寧に使ってきたのだろうなぁと思います。
今、パリでオリンピックが開催中です。前回パリで開催されたオリンピックはちょうど100年前とのこと。この100年間、世界では第二次世界大戦をはじめとする多くの戦争や災害を経験しています。現在もオリンピックどころではない国々があり、被災地があることを忘れてはいけないとも思う、今年の8月です。
そして『付喪神絵巻』に登場した400年近く前の扇子の妖怪に誘われて、炎天下のなか、なるべく長く使える実用的な扇子を探しに出掛けようとも思います。
【参考・画像】https://story.nakagawa-masashichi.jp/67898
2024年も後半に突入、季節は今年も酷暑と予告されている夏本番を迎えます。早いもので、今月下旬の7月26日にはパリオリンピックもスタートします。一年遅れで開催されたとはいえ東京五輪からあっという間な感覚が残ります。今月7日には都知事選もあり、いろいろ考えさせられる月となりそうです。
パリといえば、歴史的建造物や古代から現代までの美術作品が網羅でき、街自体が大きな美術館ともいえます。様々な伝説の生き物も、多くの建築や美術作品に表現されており、こちらでは書き切れません。
そんな中でも、パリには一度見たら忘れられないような伝説の生き物が居るのです。国立中世美術館(通称クリュニー美術館)を代表するタペストリー「貴婦人と一角獣」の一角獣です。 この15世紀末頃に作成された6枚からなるタペストリーに表された伝説の生き物は不思議な美しさを放っております。文学作品やアニメ等にも登場し、ご存じの方も多いと思います。
ちょうど11年前の今頃、国立新美術館でも展示され、この作品を地震と湿気の国で観て大丈夫なのかと不安に思いつつも感動を覚えました。
6枚のタペストリーは「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」、そして「我が唯一つの望み」(「愛」や「理解」と解釈される)、という六つの感覚を示したものとされています。緻密な千花紋様を背景に、一角獣と当時の衣裳をまとった優美な貴婦人が中心となり動物達や果樹や楽器等が美しく配され、引き込まれます。6枚それぞれ甲乙付け難く、見比べる楽しさも味わえます。長い角を持つ白い一角獣の存在が、この作品の謎めいた雰囲気と美しさを強調しているように思えます。
そもそも一角獣とは、ユニコーンとも呼ばれ、白馬に捻れた一本の角を持つ姿が一般的です。フランスの小説家フローベールが『聖アントワーヌの誘惑』の中で一本の角を持つ美しい白馬として一角獣を登場させるまでは、魚の尾をつけていたり、様々な動物の体を混合させて表現されていたそうです。
元々は古代ヨーロッパに住んでいたケルト民族がキリスト教の伝来以前に信仰していたドルイド教の怪物とも考えられています。おそらく周辺地域における角を持つ動物(サイ、アイベックス、ヘラジカ、トナカイ、イッカクなど)の逸話がヨーロッパに伝わって一つに統合された空想上の生き物ではないか、とも想像できます。
実際に居そうでいない、もしかしたら存在していたのかもしれない、とさえ思える美しい生き物。この一角獣の魅力が溢れる作品は「貴婦人と一角獣」であると筆者は考えております。
| このタペストリーが革命の多いフランスで現在まで残されていること、フランスの至宝ともいえる作品を日本でも観ることができたこと、平和の有り難さを改めて思います。またいつか現地に観に行くことができる世の中であって欲しいです。
【参考・画像】https://ja.wikipedia.org/wiki/貴婦人と一角獣
今年も6月がやってきました。そろそろ梅雨の季節です。
恵みの雨ではありますが、毎年のように水害や水の事故が絶えません。
とくに今年は、被災地の方々が雨と蒸し暑さにどう対処していけばよいのかと考えさせられます。水によって命を奪われもしますが、生き物にとって水は欠かせません。伝説の生き物で「水」に関わるものというと、筆者はとっさに河童の姿が浮かびます。考えてみると、ものごころついた頃から「河童」という響きと頭にお皿をのせたミドリっぽい身体をした姿は身近な存在でした。
もちろん目撃したことはありませんし、その姿は絵本や漫画、アニメやコマーシャルなどによって多少の姿形は異なってはいました。が、どれもが同じく河童として認識できていたので、かなりお馴染みの存在であったと考えられます。おそらく世界的に有名になった猫型ロボットや白猫キャラクターと同じ感覚で河童を認識していたのかもしれません。
調べてみると、河童はツチノコとならんで日本を代表する未確認生物と捉えられているそうです。
そもそも河童とは何者なのかを調べますと、水の神様にたどり着きます。西日本では中国大陸から伝わった「河伯」という川や水の神様であり、龍の化身が由来とされております。頭のお皿は水の神様へ供えられた供物を象徴しており、生命力を表しているともいわれます。
河童の行動自体も水と同じく、人間を死に至らしめることもあれば、助けることもあるという二面性があります。人間にとって欠かせない「水」に対する親しみが、神様よりももっと身近な存在である河童を誕生させたのだろうと想像します。
余談です。筆者が幼少の頃は「西遊記」というドラマが大ヒットしておりました。三蔵法師は剃髪の美女、猪八戒は豚、沙悟浄は河童の姿をしておりました。今回調べるまで、沙悟浄が河童のような姿をしているのは日本だけだそうで驚きました。水の妖怪と勘違いされたのがきっかけらしいのですが、河童の姿ではない沙悟浄がイメージできないほど沙悟浄といえば河童姿でした。
河童に親しみがあるのは、水の豊富な土地に育ったからなのかなぁとも思います。
水に感謝しつつ、同時に警戒もしながら雨の多い月を楽しみたいと思います。
【参考・画像】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%AB%A5
https://gotofan.net/simogoto/fukuejima/fukue-040/
能登半島地震から4ヶ月、被災地の方々の厳しい状況は続き、歴史的円安等の不安材料も抱えた状態にありますが、季節は緑豊かな時季を迎えております。5月の初旬、新緑と青空がまぶしい頃になると、以前歩いた鎌倉アルプスの不思議な風景を思い出すことがあります。
当日は鎌倉でハワイアンカヌーの体験をするはずでしたが、風が強いため、ガイドさんの提案により急遽鎌倉アルプスのハイキングに変更となりました。鎌倉といえば、ほぼ海側の散策に偏っていたため、北鎌倉の緑深い道は逆に新鮮でした。
が、一箇所不思議な雰囲気の場所が記憶に刻まれております。
有名な建長寺の奥に進み、「半僧坊」とよばれる区域に足を踏み入れた時です。鮮やかな新緑と青空を背に黒灰色した天狗の像が複数目に入り、空気が変わった覚えがあります。
その時に目に付いたのが鳥のくちばしをもつ烏天狗(からすてんぐ)でした。おそらく通常の天狗よりも烏天狗の像が多かったのでしょうか、、烏天狗しか印象にない程です。天狗達が気になりつつ長い階段を登った先には海まで見渡せる絶景が待っており、ちょっと違う世界へ入る感覚を味わえました。
ガイドさんが説明してくれたであろう内容も、今はどこかに埋もれてしまいましたが、絶景よりも烏天狗に囲まれたような感覚の方が、なぜか鮮明です。
この烏天狗、その名の通り天狗の一種。ですが調べてみますとそもそもは天狗と言えば烏天狗の姿を指していたそうです。現在の鼻が高い天狗は近世に入ってから主流になったとのこと。「天狗」は調べるといろいろな説があり、面白いと同時にまとめきれないので、またの機会に(いつか)ご紹介できればと思います。
烏(からす)と名前がついておりますが、からすではなく、鷲やハヤブサのような猛禽類と似た羽毛に覆われているものが多いそうです。鎌倉には俊敏な猛禽類のトンビが空を巡回しているので、鼻高々な天狗よりも烏天狗がふさわしいと思えます。
観光客でごった返す鎌倉ですが、おそらく「半僧坊」はさほど混雑していないのでは。。と思われます。しばらくすると酷暑到来、まだお散歩に快適なこの時季、烏天狗に囲まれて、ちょっとした異世界体験をしてみてはいかがでしょうか。
【参考・画像】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%A4%A9%E7%8B%97
ここ数年は満開の桜を眺めてから新年度をスタートしていた記憶があるのですが、2024年は意外にも桜の開花がゆっくりしており、4月に入ってから見頃を迎える桜は久々の感覚です。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。
春といえば変化の季節。鹿で有名な奈良公園のニュースによると、この時期にオス鹿の角の落角がはじまるとのこと。 落角とは、1年に1回この時期に生え替わる、シカ特有の生態です。毎年3月頃になると自然に根元部分から脱落して新しく生え替わります。 4月頃から8月頃にかけて「袋角」(ふくろづの)と呼ばれる柔らかい外皮に包まれ、中に血管が通った状態で成長するそうです。
なぜ落角するのかというと、身体の成長に合わせて、立派に成長させるためなのだそう。一年かけて成長し、春頃に生え替わる角を持つその姿から、鹿は古来より死と再生を象徴する動物とされてきました。ギリシャ神話では聖獣とされた「ケリュネイア」、日本神話では、「アメノカク」という鹿の姿をした神様が登場します。
鹿の神、「アメノカク(天迦久)」がアマテラスの伝令として、アメノオハバリのところへ派遣される記述が古事記にあります。このアメノオハバリ(天之尾羽張)という日本神話の神様の息子がタケミカヅチ(建雷命)です。タケミカヅチ(建御雷)は雷神、刀剣の神、軍神として信仰されており、鹿島神宮・春日大社をはじめとする全国の鹿島神社、春日神社がタケミカヅチを祀っています。
鹿島神宮では鹿が神の使いとされており、境内にある鹿園で30頭ほどの鹿が飼育されています。また、西暦768年の奈良の春日大社創建の際には、茨城県の鹿島神宮から奈良県の春日大社まで、白い鹿にタケミカヅチの分霊を乗せて1年かけて移動したと伝えられています。
春日大社は藤原氏の氏神であるタケミカヅチを祀るために建てられ、奈良県奈良市にあり、全国に約1000ある春日神社の総本社として知られています。春日大社も鹿島神宮と同様に鹿が神の使いとされています。鹿島神宮からたくさんの鹿が来る前から、奈良には野生の鹿が生息していましたが、春日大社創建以降は鹿は「神鹿(しんろく)」と呼ばれて保護され、現代に至るまで鹿と人間が共生してきました。
ただ、近年では農作物の食害等の問題もあり、駆除も進められ自然と共生することの難しさを象徴する存在ともいえます。
古来より、神様に近く人とも親密な関係にある鹿。その角のように、人との関係性も日々再生できればと願うこの4月です。
【参考・画像】https://deerinfo.pro/deer-shinto/
明けたばかりと思っていた2024年も3月に入りました。お正月から3月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうという意味である「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という言葉通りの勢いです。
そして東日本大震災からは13年が経とうとしております。この間も国内外で災害と紛争は続いており厳しい状況です。
今回は「件(くだん)」を取り上げます。日常的に使用している言葉としての「件」。とくにビジネスメール等では頻繁に使用しており、伝説の生き物と関わりがあるのか? と思われるかもしれません。
が、妖怪に詳しい方はご存じの「件(くだり)」という妖怪が存在するのです。
「件(くだん)」は、江戸時代から出現の記録が見られる妖怪です。漢字が示す通り、人と牛とが一体になっており、身体が牛で顔が人間という姿。ギリシャ神話で有名な牛頭人身のミノタウロスとは逆になります。
生まれてすぐに予言を行い数日のうちに死んでしまうため、「予言獣」ともいわれています。
予言の内容は、豊凶や疫病の流行。また厄よけの方法として自らの絵を張り置くよう伝えており、一時期流行した「アマビエ」と共通しています。かつては「件(くだん)」や「アマビエ」以外にも予言獣は存在していたのですが、近代に入ると取り上げられなくなりました。よって「件(くだん)」は息の長い予言獣であるとも考えれます。
明治時代に現れた時には日露戦争を予言、昭和の太平洋戦争時には終戦を予言したといわれており、平成では阪神・淡路大震災や東日本大震災の際に目撃情報があったともいわれています。
世の中がが不安定になると、顔を出す妖怪はなぜ「件(くだん)」なのか。
「件(くだん)」は牛から生まれる妖怪です。これこそ、「件(くだん)」が生まれ続けた理由の一つでした。牛の出産に立ち会うことは、農家では江戸時代から近代以降も身近な出来事と考えられるからです。
牛と人間のつながりは、先史時代の洞窟絵画や世界中の神話や民間信仰に登場する牛の神様の存在から、畏怖すべき対象であったこともわかります。
今回の震災でも家畜として飼育されていた牛たちの被害がありました。牛たちだけではありませんが、痛ましい事実です。
人と牛が隣あっている「件(くだん)」、牛と人との関係の深さを再認識させてくれる生き物であると思い知りました。
【参考・画像】https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/62122
非常に厳しいスタートとなった2024年も2月を迎えます。
未だ苦しい生活を強いられている被災者の方々の状況が、一刻も早く日常に近づけるように、弊社といたしましても出来ることを考え、復興支援の一助となるべく動いてまいります。
今回、伝説の生き物を考えるうえで、やはりどうしても立ち上がるエネルギー源となるような生き物を紹介したいと思います。
先月ご紹介した「龍」と同様に、当たり前のように耳にする「不死鳥=フェニックス」です。店名、会社名、スポーツチーム名等々、いろいろと用いられ、日々の暮らしに埋もれておりますが、改めてこの生き物の意味を考えて力を得られたらと考えております。あわせて、似ているけれど異なる存在である「鳳凰」と比較いたします。
【フェニックスとは】
●逆境からよみがえる象徴●古代エジプトの伝説の鳥が発祥●「不死鳥」と訳される●形はワシに似て赤や金の翼を持つ●オスのみ●死期が来ると、自ら燃える火中に入って焼かれ、その灰の中から再生するため、同時に二羽のフェニックスは存在しない ※諸説あり
【鳳凰とは】
●おめでたいことの起こる前兆とされる鳥(瑞鳥)●中国の神話に出てくる伝説の鳥、四霊(麒麟、亀、龍、鳳凰)のひとつであり、神の使いとしての力を持つ●孔雀に似ている。五色の羽がある●鳳と凰という雄雌がある●卵を産む
【災害とフェニックス】
大災害などからの復興事業などに、何度もよみがえる不死鳥にあやかって「フェニックス」という名称をつけることがあるとウィキペディアに実例が紹介されており、一部抜粋します。
新潟県長岡市:「復興祈願花火フェニックス」 戦災と度重なる災害(新潟県中越地震・7・13水害・豪雪)からの復興を願う花火。長岡以外の被災地三宅島や石巻でも打ち上げられた。
福井県福井市:市民憲章「不死鳥のねがい」 福井市が1945年(昭和20年)からの3年間で3回壊滅(福井空襲・福井地震・九頭竜川の堤防の決壊)したが復興したことに基づいている。
•「阪神・淡路震災復興計画」の愛称として「ひょうごフェニックス計画」 シンボルマークは手塚治虫の「火の鳥」。
たった数行の情報ですが、災害に立て続けて見舞われてしまう過酷さと、その度に復興に向けて進んできた地道な動きを想像します。当然ながら文字にはおさめきれない一人ひとりの被災者の方々の痛み等があります。同時に、「フェニックス」には古来から戦災や災害に苦しんできた人々の願いが込められていることも、昨今の国内外の状況を通して再認識できます。
もはや聞き慣れた言葉と化した不死鳥・フェニックスですが、本来の持っている再生の力の意味を噛みしめていきたいと思います。
【参考・画像】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
2024年がスタートしました。新年を迎えられたことに感謝しつつ、本年も一歩ずつ前に向かっていきたいと思います。今年は辰年ということで、干支の中で唯一実在しない存在の年です。
12年に一度のこの世に存在しない生き物の年ということで、今年のコラムのテーマは「伝説の生き物」を取り上げたいと思います。
まずは今年の干支である「龍」についてです。 龍といえば、映画やゲームでお馴染みのドラゴンと同じようなものなのかと想像しますが、調べてみると少し違います。
●龍:中国をはじめとする東アジアの伝説の生き物。
中国では、皇帝のシンボルであり神獣として扱われる。日本では、水の 神や戦いの神として民俗信仰の対象となり、雨乞いの際に龍神に祈る 風習がある。
・蛇のような身体に4つの足 ・鹿のような角
・水や気候をつかさどる神として描かれる
・ウロコを持つ蛇のような長い身体をしているが、鹿のような角に
鷹のような爪など、複数の動物の特徴をあわせ持っている。
●ドラゴン:主にヨーロッパ文化圏の伝承や神話に登場する生物。
ドラゴンの語源は、古代ギリシャ語で「大蛇」「巨大な海の怪魚」などの 意味を持つラテン語の「draco」に由来。ドラゴンは人間や動物を苦し める存在として描かれ、多くの勇者が退治する伝承が残っている。
・羽があるトカゲのような容姿をしている
・口から火を噴く・人間を苦しめるものとして描かれる
比較すると、龍は神として敬われますが、ドラゴンは敵対する存在であることがわかります。自然に対するアジアとヨーロッパの考え方の違いと似ております。ただ、大きな爬虫類のような姿をした想像上の生き物は世界各地の文化に共通して登場しているとのこと。恐竜時代の化石なども関係しているのか、興味深いですが、捉え方は違っていても同じ人間同志なのだなぁと思います。
存在しないはずの龍ではありますが、名前や地名等をはじめ、かなり身近な存在であることに気づかされた今年の1月です。
[参考・画像]https://global.canon/ja/tsuzuri/works/08.html
https://newsphere.jp/national/legendary-creature/
毎年テーマを決めて月に1本ずつブログをアップしていきます。今年は季語です。
2023年も最後の月となってしまいました。今年を振り返ると、コロナで規制されていたものが復活し、以前のような自由が戻ってきました。元通りに戻ったわけではなく、色々と変わったなぁと気づかされることも多くあります。
今年のテーマは季語でした。よく耳にするものから、初めて知る言葉もあり、お宝を発見するような楽しさがありました。 最後に紹介するのは「寒夕焼(かんゆうやけ)」です。単に「夕焼」といえば夏の季語ですが、「冬の夕焼」「春の夕焼」「秋の夕焼」と一年中季語として存在します。「冬の夕焼」は、枯木立や建物のコントラストの美しさがあります。「寒夕焼」は「冬の夕焼」と比べると、寒さ厳しいなか、束の間だけれども凍てつくような赤さが印象に残る美しさを伝えています。
筆者は毎年元旦に湘南へ出向き、初日の出と富士山を眺めるのが恒例です。青と白の爽やかな風景を眺めるとさっぱりします。今年はゆっくりし過ぎてしまい日の出どころか日の入りとなってしまいました。日没ギリギリに辿り着き焦るも昼間とは違う色の世界に見惚れました。
暖色をかき集めて輝く夕焼けと黒い富士の対比が劇的で、徐々に青暗くなる段階も美しく、寒さは感じつつも完全に暗くなるまで惹きつけられました。
この「寒夕焼」という季語が目に入った瞬間、今年最初に見た日没の風景が浮かび上がりました。すでに記憶のどこかに埋もれておりましたが、この季語のお陰で記憶を再生できました。
たった三文字の中に、雄大な風景を詰め込んだ起爆剤のようです。人によっては全く違う風景や感情が蘇るはずです。何も感じない人もいるかもしれません。そこが季語の面白いところだとも思えます。
身近にありながら背表紙しか眺めてこなかった俳句歳時記ですが、時折開くことを覚えました。これからも、ページをめくって、季語の中に突き刺さる言葉や表現を見つけていこうと思います。
2023年は、自分が感動を覚える瞬間にも、紛争や災害で苦しみ続ける人が居り、何も対処できずにいることを思い知りました。最後の月となりますが、全てがよい方向に進むように祈りつつ、できる限り行動することが理想ではあるものの到底難しく。
38年ぶりに日本一になったタイガースや応援し続けたファンを思うと、腐らずに続けていくことのすごさを思い知れたのも2023年です。
あっという間の12月、「寒夕焼」のように印象深い毎日を過ごしたいと思います。
[参考]https://kigosai.sub.jp/?s=%E5%AF%92%E5%A4%95%E7%84%BC&x=0&y=0
今年も11月を迎えました。未だ半袖は手放せない筆者ではありますが、やっと気温も落ち着き、街歩きや旅行など屋外活動に最適な季節となりました。
一方、国外では凄惨な状況が続いており、一刻も早い終息を願うばかりです。今回、11月の季語を探していると「オリーブの実」が目に入りました。初夏に花を咲かせるオリーブの花は夏の季語ですが、実の方は晩秋の季語に分類されるとのこと。
| オリーブは地中海沿岸、それも現在の中東地域が原産と言われており、紀元前6000年頃にはパレスチナ周辺でも栽培されていたそうです。調べてみると、イスラエルでは国樹とされており、パレスチナでは歴史あるオリーブの段々畑の景観が2014年に世界遺産に認定されておりました。(文化的遺産「パレスチナ:オリーブとワインの地-エルサレム南部バティールの文化的景観」)
イスラエル・パレスチナ、双方の象徴ともいえるオリーブは、同時に平和・調和・豊穣の象徴ともされています。
オリーブの枝は「平和の象徴」、花言葉は「平和」「安らぎ」「知恵」。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教では、オリーブオイルを聖油としても用いているそうです。
聖書やギリシャ神話にも頻繁に登場するオリーブは古代から重要な存在です。国境を越え、文化を結び付けてきました。遠く離れた日本でも、オリーブがもたらす食文化はしっかり根付いてるほどです。
【今月気になる季語】オリーブの実
【解説】 秋の季語(晩秋)
【例句】オリーブの実たわわ並木道をなす 森田 峠
オリーブが象徴するものが、地球上に直ぐにでも根付くように祈ります。ユネスコが2019年に制定した「国際オリーブの日」は今月11月26日です。季語としても平和のシンボルとしても、改めて見つめ直したいと思います。
[参考]https://kakehashi-palestine.com/oliveinpalestine/
https://whc.unesco.org/en/list/1492
https://skyticket.jp/guide/117769/
日中の暑さはまだまだ健在ですが、ようやく熱帯夜から抜け出せたようでホッとしているこの頃です。夜間に窓を開ければ、涼やかな風が通るようになり、冷房を使わずとも快適に過ごせるようになりました。おそらく今年の夏は、人生最長といっていいほどの冷房使用時間だったように思います。機械に頼らない涼やかで爽やかな風の到来を今年ほど嬉しく思った記憶がありません。
今回の季語は、そんな秋の風を表す「爽籟」(そうらい)です。俳句歳時記をめくるなかで、目に留まった言葉ですが、画数が多く、字面からしてどことなく風流な雰囲気です。
「爽」は爽(さわ)やか、「籟」(らい)は笛の音を表し、秋風の爽やかな響きを意味する言葉です。秋風が木々の葉等に触れて発する音に着目した言葉ともいえます。
「爽やか」自体が秋の季語となるそうで、少し驚きでした。季節関係なく、さっぱりとして気持ちのよい様子を表す言葉として使用されますが、季語としては秋を表します。どの季節にも爽やかな場面はありますし、新緑の頃など、充分爽やかではないかとも思います。が、やはり、今年の夏の暑さをくぐり抜けた身としては、秋の空気が最も「爽やか」だと納得がいきます。
「籟」はあまり馴染みのない言葉ですが、穴が3つある笛のことであり、風があたって発する響きや声、音を意味しているそうです。ほかに籟を使った言葉としては、松籟(しょうらい)、万籟(ばんらい)、風籟(ふうらい)等があり、どれも風情があるように思えます。
松籟(しょうらい) 風に吹かれて松の梢が立てる笛のような音。
万籟(ばんらい) 風が岩穴や樹木など大自然の万物を吹いて立てる音。
風籟(ふうらい) 風の音。風そのものの音とも言えます。
【今月気になる季語】爽籟(そうらい)
【解説】 秋の季語(三秋)
秋風の颯々として爽やかな響き。「秋の風・秋風」の別名である。
【例句】爽籟や空にみなぎる月あかり 日野草城
秋は芸術の秋・食欲の秋とも言われております。猛暑を乗り越えてほっと落ち着ける冷涼な空気のなか、心とお腹に余裕が持てるのも理由である思います。
待ちに待った過ごしやすい季節。秋ならではの景色や味覚を味わいながら、耳を澄まして「爽籟」とはどんな響きがするものなのか、堪能してみたいと思います。
[画像]https://haiku-textbook.com/wp-content/uploads/2021/08/22186452_m.jpg
[参考]https://tenki.jp/suppl/m_yoshino/2018/09/15/28431.html
連日の暑さに飽き疲れ、秋の風が恋しくなるこの頃です。9月の季語を探すなか、目に入った句がありました。
「鰯雲 人に告ぐべきことならず」
「鰯雲」といえば秋。秋空に現れるまだらな雲が連なった巻積雲です。涼しい風に当たりながら空を見上げる情景が浮かびます。ただ、その後につづく「人に告ぐべきことならず」とは、なにか不安な気持ちに駆られます。
気になり調べてみると、作者は明治から平成にかけて活躍した俳人・国文学者の加藤楸邨。人間探究派と呼ばれておりました。この句は戦前の昭和13年、楸邨が勤めていた中学の教師を辞め、妻や子供達と共に上京し、東京文理科大学国文科(現 筑波大学)に通うようになった33歳頃の句です。
秋空を見上げたときに見た一面の鰯雲の美しさと、自分の気持ちは誰かに伝えてもどうにもならない、という内容。空にのびる雲と、殻のように固く閉じこもった楸邨の気持ちの対比があらわされた句ですが、解釈が難解であるとされています。
主として、2通りの解釈があると考えられています。
(1)鰯雲は美しい。私が今悩んでいることは誰にも相談することができない。誰にも言わず、黙っていることにしよう。
→前年の昭和12年には日中戦争が始まり、軍国主義の真っ只中であった日本で、言論の自由を人々が奪われていることを表現している、と捉える考え方。
(2)鰯雲が美しいと私が言っても、誰もわかってくれはしない。
→教職を離れ、妻子を連れて勉学のために上京した当時の不安・孤独等がうかがえる。国家と国民との関係ではなく、楸邨自身の内面を表現している、という考え方。
いずれにしても、読み手側にいろいろと考えさせる句であると言われています。くれぐれも(1)のような状況にならないようにしたいと、秋の涼しさを待ちわびながら考えております。
【今月気になる季語】鰯雲(いわしぐも)
【解説】9月(三秋)
鰯雲は巻積雲のこと。風や移動性低気圧が近づく秋によく見られる。秋の象徴的な雲である。魚の鱗にも似ていることから、鱗雲ともいう。この雲が見られると鰯の群れがやってくるともいわれる。
【例句】鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨「寒雷」
鰯雲ひろがりひろがり創痛む 石田波郷「惜命」
災害級という表現が使われるほど、厳しい暑さが続いております。冷房を享受できることに感謝しつつも屋外で活動しなければならない方々の健康が守られるように願わずにはいられません。
8月の季語は「川床」を選びました。5-9月頃まで京都や大阪で楽しめる行事で、料理店が川の上や近くの場所に座敷をつくって料理を提供することを言います。
真夏の京都・大阪は躊躇してしまいますが、できれば京都の涼しげな山の方(貴船あたり)で、いつか体験してみたいことの一つです。筆者はこれまで、「川床」の読み方は「かわどこ」のみと思っておりました。
が、調べてみますと、俳句歳事記では「ゆか」「かわゆか」と表記されております、「かわどこ」の記載は見当たりませんでした。
また呼び方自体が地域によって異なるそうです。京都鴨川では季語と同じく「ゆか」、貴船や高雄では「かわどこ」、大阪北浜では「かわゆか」と呼ぶのが一般的で、これは各地の川床を区別するために呼び分けているようです。
その歴史は古く、はじまりは江戸時代の初期と考えられています。長い戦乱が終わり平和な時代が訪れたことにより、豪商が鴨川の河原に見物席や茶店を出したことがきっかけでした。
明治時代になると祇園祭の行われる7・8月に床を出すことが定着。台風で壊滅的な被害を受けたり戦争の影響で川床が消えた時代がありましたが、1952年には「納涼床許可基準」などの規則が整備され再び数軒のお店が営業をスタート、今では夏の風物詩としてなくてはならない存在となりました。
【今月気になる季語】川床(ゆか・かわゆか)
【解説】夏の季語(晩夏)
川の流れに突き出して設けた、涼みのための桟敷あるいは床几をいう。江戸時代から京都の四条河原のそれは有名であったが、今は貴船、高尾などでも料亭や旅館が桟敷を出している。夕方の暑さを凌ぐ京らしい風物である。
【例句】母屋より川床の座広き貴船茶屋 徳山聖杉
京都の暑い夏を涼しくしたいと知恵を絞って生まれた「川床」。その歴史を調べてみると、暑さは厳しくとも、平和な時代だからこそ、文化や風情が味わえるのだなぁと改めて思います。
[画像]https://www.leafkyoto.net/leaf/wp-content/uploads/2022/04/220315-katsura
[参考]https://turiinfo.com/241.html・https://mainichigahakken.net/hobby/article/2-5.php
7月に入り、夏も暑さも本番を迎えます。数年前から昆虫食なる言葉を耳にするようになりましたが、夏は虫の存在感も増す季節。正直苦手です。が、好きな虫もありました。正しくは虫ではないのですが、「夜光虫」です。
夏の夜、海辺で見た青い光は幻想的そのもの。バシャバシャと水面を叩くと、まるで魔法の粉が舞うようで、ディズニー映画の魔法使いにでもなったような気分でした。
夜光虫には別の顔もあります。ご存じの通り、赤潮の原因となることもあります。赤潮は水中のプランクトンの大量発生により、海水や河口付近の河水が変色し、魚介類を死に至らしめる現象です。夜には青く光る幻想美をもたらしますが、昼間は赤潮という厄介者、表裏一体です。
海で光る生物といえば、夜光虫の他にもウミホタル、ホタルイカが思い浮かびます。夜光虫は植物性プランクトン、ウミホタルは甲殻類の一種、ホタルイカはイカの一種です。
いずれも「ルシフェリン」という発光する物質と「ルシフェラーゼ」という発光する酵素が関係しています。ただし、その光る方法はそれぞれ異なります。夜光虫は体内で光りますが、ウミホタルは発光物質を吐き出して光らせ、ホタルイカは体内の発光器が光らせているようです。
「ルシフェリン」「ルシフェラーゼ」という名前はもっとも美しい最高位の天使で、「明けの明星」「光をもたらす者」という異名をもち、のちに悪魔となった「ルシファー」にちなんで命名されているとのこと。夜光虫の夜に青く輝く美しさと、昼間は赤潮の原因となる二面性を思わせます。
(クラゲの発光は2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏が解明したことで知られていますが、こちらはルシフェリン・ルシフェラーゼとは異なる物質です)
【今月気になる季語】夜光虫(やこうちゅう)
【解説】夏の季語(7月)
プランクトンの一種。海に漂い、波に揺れると発光する。夏の夜、暗い波間や舟の水脈に青白く光っているのは神秘的で美しい。しかし、水温などの関係で多量に発生すると臭気を発し、赤潮の原因となることもある。
【例句】夜光虫星を凌ぎしより碧む 田中貞雄
季語としての夜光虫を通して、生き物が光ることの不思議な世界に引き込まれます。なぜ光るのか、完全には解明されていないようですが、生物共通の光への憧れ、畏れが関係していると思われます。ちなみに赤潮も夏の季語として使われておりますが、やはり夜光虫の美しさを語れるような夏にしていきたいと思います。
[画像]https://pbs.twimg.com/media/Dc1HEYzXcAAQCWc.jpg
[参考]https://turiinfo.com/241.html・https://mainichigahakken.net/hobby/article/2-5.php
今年も6月に入り、そろそろ梅雨の頃を迎えます。
筆者の地元のとあるお宅には、大きな「あんず」の木があります。
そのお宅の前を必ず通って出勤しているのですが、だいたい6月の初め頃になると、美味しそうに熟したあんずがコロリと転がりはじめます。
そしてお宅の入り口には、『あんずです。ご自由にどうぞ』と手書きのメモが添えられたカゴが用意されており、山盛りに入っている時もあれば、1〜2個だけの時もあります。道に転がっているのは、そのカゴからこぼれ落ちてしまったか、庭から転がり続けた活きが良い実なのか、どちらかです。
大体1週間位で、道に転がるあんずの姿や手書きのメモなどの一式は見かけなくなるのですが、熟したあんずの実のかわいらしさや、そのお宅の方の心遣いなどを想像すると、甘酸っぱく穏やかな気持ちになります。
この「あんず」、やはり季語として使われております。「あんずの花」は春、「あんず」は夏の季語ということで二つの季節に登場します。
あんずの花は「うめ・桃・桜」と見間違えますが、実の方は熟した梅に似ております。梅は熟すと酸味が強くなるのですが、あんずは甘みが強くなるという違いがあります。
花も実も、見まちがいやすい「あんず」。何より、その音の響きが何ともかわいらしいです。あまり主張せず、ほんわりとした存在感も、そう思える理由の一つなのかと考えます。
【今月気になる季語】杏子(あんず)
【解説】夏の季語(仲夏/6月ごろ
春に紅の花が咲き、6、7月頃、梅より少し大きい黄赤の実をつける。甘酸っぱく、生で食べられるほか、ジャムや缶詰にも加工される。古く薬用として中国から渡来したとされ、「杏仁」は種を干したもので漢方薬。「杏林」は医師のこと。
【例句】あんずあまさうなひとはねむそうな 室生犀星
個人的には幼少の頃に駄菓子屋さんで食べた「あんず棒」、縁日の屋台では欠かせなかった「あんず飴」なども手伝ってか、「あんず」という言葉には、懐かしい甘酸っぱさと、おだやかさが詰まっているように思います。
日々焦りや慌ただしさに追われてしまいがちですが、あんず入りのみつ豆などを食して、心身リフレッシュしたいと思います。
[参考]https://ameblo.jp/masanori819/entry-12282854685.html
爽やかな5月に突入しました。今年のゴールデンウィークは「4年ぶりに復活」「活況」といったフレーズが見られ、コロナ前のような賑わいを久々に味わっています。4年も経ったのかと時間の流れを感じますが、制限されていたものから徐々に抜け出す心地よさを実感しています。
心地よさと云えば、この時季はどうしても緑に引き寄せられます。季語を調べてみると、「万緑」という言葉に惹かれました。全ての緑を網羅しているような、緑が120%溢れているような気持ちを代弁してくれる字面です。
実はこの「万緑」、著名な俳人 中村草田男が昭和14年(1939年)に詠んだ句で、初めて季語として使われたと言われています。
万緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
そもそも「万緑」は中国北宋時代の詩人 王安石の詩「万緑叢中紅一点」が由来の言葉でした。この詩の意味は、一面に生い茂った草木の緑のなかに、ただ一点の紅の花があることで目立って美しいこと。 また、大ぜいの男性のなかに、ただ一人の女性がいることにたとえる、いわゆる「紅一点」として使われます。「万緑」よりも、「紅」を強調する内容でした。
が、俳人の中村草田男は「万緑」を生命感、躍動感を表す言葉として、新しい意味付けをして生き返らせたといわれています。同じ言葉でも、使われ方で印象が大きく変わります。紅一点の比較として使われる万緑よりも、筆者としては自然や命の力強さや美しさを押し出した「万緑」に惹かれます。
【今月気になる季語】万緑(ばんりょく)
【解説】三夏の季語(初夏〜晩夏/5月〜7月)
夏の山野をおおう植物の満目の緑をいう。「茂」よりも広範囲な情景である。
【来歴】王安石の「石榴詩」「万緑叢中紅一点、動人春色 不須多」が出典とされ、中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の句によって新季語となる。
もしかしたら、この「万緑」以外にも、使い方で意味が変わる言葉があるのかもしれないと想像します。おそらくは全ての言葉自体が、使い方で変化するものであるとも考えられます。
やはり、言葉は難しく、両刃の剣でもあることを再認識しますが、まずは爽やかな万緑の季節を堪能したいと思います。
桜の見頃はあっという間に過ぎ去り、新年度を迎えました。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。
桜を見上げる時季が終わり、少し目線を落とすと、道路脇に赤紫色の花をつける「ツツジ」の季節がスタートします。
日常的に見かけるツツジは花咲く期間も長く、あまりにも当たり前過ぎるためか桜ほどのワクワク感は正直ありません。ですが、平安時代の頃からツツジは親しまれており貴族の衣裳の色である襲(かさね)の色にも「躑躅(ツツジ)」という色名が遺され、短歌・俳句でも多く用いられております。
漢字で表記すると「躑躅」となり、漢語で「テキチョク」と読みます。足踏みし、あがくが原義であり、行っては止まる、躊躇するという意味にもとらえられます。美しく咲く花が人の足を引き止めると、この漢字がツツジの和名として使われたそうです。
歴史のある花でありながら、道路沿いや公園などに多く用いられる身近な花であると改めて思います。
国土交通省によると、全国の街路樹の「中低木」は約600種類ほどあり、その中で最も多いのがツツジだそうです。
過酷な環境に耐えられ、やせている地でも虫がつかず、美しい景観を保ちます。さらにホルムアルデヒドを吸収するなど、空気清浄効果もあるという、いいことづくめです。
【今月気になる季語】躑躅(ツツジ)
【解説】晩春の季語
晩春から初夏にかけて、色とりどりの花を咲かす。赤いツツジは火のように群れ咲き、白いツツジは雪のように群れ咲く。桜が散ったあとに、公園や街路を彩る花である。
【例句】吾子の瞳に緋躑躅宿るむらさきに 中村草田男
これまで身近過ぎていたせいか、その名の由来とは逆に通り過ぎていたツツジ。今年は足を止め、見つめ直したいと思います。そして今年こそ、全国各地の道路や公園で出会えるように、動き出せたらよいなぁとも考えております。
厳しいニュースが続いておりますが、紅白の梅や河津桜は見頃を迎え、春の花が揃いはじめる3月がやってきました。
東日本大震災から12年が経ち、周囲を見回すと変わるもの、変わらないものがあると感じます。変わらずにいて欲しいものがあると気づいたりもします。
何かが変わるとき、風向きが変わるなどと表現しますが、今回の季語は「東風」です。「東風」と記して「こち」「こちかぜ」「とうふう」「ひがしかぜ」「あゆ」「あいのかぜ」などと多くの読み方がある言葉です。 しかも読み方によって、表す季節が変わるという両性具有のような季語でもあります。
「こち」と読む場合、その意味は「冬の季節風が終わり、早春に吹く東寄りの風=春風」として使われます。つめたく、凍えさせるような風が、あたたかく、歩をすすめたくなるような風に変わるとき、それが「東風」。まさに春の到来ですが、やさしくおだやかな風は時に海を荒らす強風と化すこともあります。
「あいのかぜ」と読む場合は夏の季語となります。日本海側で春から夏にかけて吹く北東のさわやかな風で、古く万葉集の時代から豊作、豊漁等「幸せを運ぶ風」として親しまれているそうです。
【今月気になる季語】東風(こち・こちかぜ)
【解説】春の季語
春に吹く東風。冬型の西高東低の気圧配置が崩れ、太平洋から大陸へ吹く。温かい風で雪を解かし、梅の花を咲かせるが、ときに、強風となって時化を呼ぶ風でもある。
【例句】東風吹かば西へ東へ帆掛け舟 長谷川櫂
東風が吹いても馬の耳は何も感じないことから、人の意見を聞き流す人は「馬耳東風(ばじとうふう)」と云われてしまいます。馬の鈍感力も、いまの時代は必要な時があるかもしれませんが、やはり東風のあたたかさや力強さを味わえる人間でありたいとも思います。
[参考・画像]https://www.543life.com/seasons24/post20220205.html
いつもながら1月はあっという間に走り去り、今年も2月に突入いたします。 過去最強クラスの寒波が到来するなど、冬真っ盛りな毎日ですが、暦の上ではもうすぐ春。立春の2月4日からは札幌雪まつりが3年ぶりに開催されます。「3年ぶり」という言葉も耳にすることが多くなり、コロナ禍のトンネルから徐々にではありますが、抜けつつあるのではと思えるこの頃です。
さて、今回は2月の季語として、「魚氷に上る」をご紹介します。読み方は「うおひにのぼる」「うおこおりにのぼる」などと読みます。意味としては、古代中国で考案された季節を表す方式の「七十二候」の一つでもあり、2月14日から2月18日頃の時期を表現している言葉です。
文字通り、魚が氷からおどり出てくるようなイメージです。少しずつあたたかくなり、冬の間に凍っていた川や湖の氷が割れ、そこから魚が飛び出してくる情景が浮かびます。
ちょうど、コロナで中止になっていたイベントが3年ぶりに開催しつつある、といった状況と重なります。他にも似たような意味合いをもつ表現があると思いますが、氷が溶け始める状況と魚たちがおそるおそる動き出す心境に共感をおぼえます。
【今月気になる季語】魚氷に上る(うおひにのぼる)
【解説】春(初春)/2月の季語
春になって氷が割れ、魚が氷の上に躍り上るということ。中国古代の天文学による七十二候の一。新暦で、おおよそ2月14日から18日の頃に当たる。
【例句】山影や魚氷に上る風のいろ 鷹羽狩行
寒さはこれからが本番ともいえますが、確実に春へと向かうこの季節、魚たちのように、楽しみながら泳ぎ始めたいと思います。
[参考・画像]https://johin-club.jp/topic/10112/
2023年がやってきました。国内外で問題を抱えながらの年明けではありますが、新しい年に感謝しつつ、気持ちよく過ごしていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
そしてこちらのコラム、今年は季語について書いてみようと思います。ものごごろ付いた頃から、俳句好きの父親が集めた俳句歳時記の背表紙だけを眺めて暮らしておりました。眺めるだけで、ほとんどページをめくったことのない俳句歳時記でしたが、少し前から季語が気になり始めたことや、テレビ番組で俳句が取り上げられていることもあり、季語をテーマにいたしました。
ただし、俳句は義務教育で学んだ以来の不勉強であり、季語の世界をのぞいてみたいという前提で書かせていただくことをお許しください。
まず、季語について改め調べますと、連歌、俳諧、俳句において用いられる特定の季節(春、夏、秋、冬、新年の五つの季節)を象徴的に表す言葉です。この言葉を入れるだけで、特定の季節感を出せる力強い言葉とも言えます。
今回気になった季語は「春永」(はるなが)です。季節の分類としては新年と1月を表します。
【今月気になる季語】春永(はるなが)
【解説】新年/1月の季語
春の日の、日の永く感じられること。正月の祝意をこめていう言葉。昼春の末永いことを言祝ぐ言葉であるが、多くは新年を褒め称えてつかう。
さらに春永には、「いずれ暇なときに」「またゆっくりと」という意味の使い方もあることから、正月を迎えてのんびりした風情が伝わってくる。
【例句】春永といふやことばのかざり 立圃「空礫」
見かけたことがありそうながら、使用した記憶がなく、お正月らしさと、漢字から想像できるあたたかさに引き寄せられました。いつか機会があれば使ってみたい言葉の一つになりました。
「春永」があらわすような、穏やかであたたかみのある一年となるよう、まずは一歩踏み出していきたいと思います。
[参考・画像]https://floweryseason.com/shinnen-jikou/#i-19
毎年テーマを決めて月に1本ずつブログをアップしていきます。今年はお菓子です。
クリスマスのお菓子として定番になったドイツのお菓子シュトーレン
2022年もついに12月を迎えてしまいました。
ここ数年、毎年のように「思いもよらないことが起きている」ように感じておりますが、今年も国内外で衝撃を受けることが多くありました。とくに、普段は漠然ととらえていた平和のありがたさを自分の生活に引き寄せて考えることができた一年でもありました。震災の時にも痛感した、当たり前と思っていた暮らしの有り難さを思い返すことも増えたように感じます。
いま、サッカーワールドカップが開催中ですが、前回大会はロシアが開催国だったことを思うとなんとも言えない気分になります。あまりすっきりしない状況ではありますが、今年のコラムのテーマである「お菓子」を食べることができること自体、ありがたいことだと痛感します。
さて、本題ですが12月のお菓子といえばクリスマスケーキが筆頭に浮かんできます。キリスト教のお祝いではありますが、イベントとして日本に根付いたクリスマス。クリスマスにはクリスマスケーキがセットでイメージされますが、その立役者は不二家なのだそうです。さらには不二家がクリスマスケーキを販売してから今年で100周年とのこと。今年のラインナップが気になるところです。
日本ではイチゴのショートケーキが定番ですが、ドイツではシュトーレン、イタリアはパネトーネ、イギリスはクリスマスブティング、とそれぞれ異なります。
最近では各国のクリスマスのお菓子を目にする機会も増え、「当たり前」となりつつあります。世界各国のお菓子が食べられる、この現状が続いて欲しいと改めて思います。
お菓子に感謝しつつ、パワーをいただきながら、年末年始を乗り越えていきたいと思います。
[参考・画像]https://www.fujiya-peko.co.jp/cake/christmas/shortcake_100th.html
「柿の種」の名前の由来となった新潟県名産の柿「大河津
近頃、30年近く前に起きたことを再び追体験しているような感覚に陥ります。30数年ぶりの円安、ロシアの混迷、阪神大震災翌年以来のオリックス優勝など、「まわるまわるよ、時代はまわる」という歌詞のごとくな心境です。
そんな2022年の秋も深まり、柿の実が照り輝く季節となりました。夕陽が凝縮されたような色の柿の実は濃厚な甘さが味わい深いのですが、米菓の「柿の種」の方が日常生活に浸透しているようにも思えます。
おやつ時やおつまみのお供にぴったりな「柿の種」、その誕生は今から100年ほど前にさかのぼります。新潟県長岡市の浪花屋製菓が元祖と云われ、のどかなイラストが描かれた四角い缶のパッケージを、一度はご覧になったことがあるかと思います。.
当時は薄くスライスした餅を重ね、小判型の金型で切り抜いて、あられを作っていました。(このあられの製法を教えてくれたのが関西出身の青年であることから、「浪花屋」の屋号を掲げているそうです)
あるとき、創業者の妻が、あられを作る小判形の金型を誤って踏んでしまい、そのゆがんだ金型であられを作ったら『柿の種に似ている』ということで、柿の種という名前になったそうです。
練馬育ちの筆者は「柿の種に似ている柿」の存在を知らなかったのですが、新潟県名産の「大河津」などの甘柿の一種が、その名の由来となった品種でした。細長い種は、まさに「柿の種」です。
浪花屋から生まれた柿の種はその後、いろいろな会社から出され、ピーナッツが入り、わさび味や梅ざらめ味、チョコレートがけタイプ等も登場し進化し続けています。
登場してから100年近く、手に取りやすいお菓子の一つとなりえたことには、いろいろな方面での試行錯誤があったからだと想像します。確かに、世の中の時間はまわりまわっているかもしれませんが、前に進んでいることは確かなのだなと改めて考えさせられます。
ちなみに、護国寺前の和菓子屋甲月堂さんで売っているピーナッツ無しタイプの「柿の種」、かなりおすすめです!
[参考・画像]https://wpb.shueisha.co.jp/news/lifestyle/2016/06/11/66436/
クロテッドクリームとジャムをつけていただくスコーンは絶品です
はやくも10月に入ってしまいました。今年はいろいろな事が起きているからでしょうか、例年以上に時間が加速しているようです。
先月はエリザベス女王が亡くなられましたが、いまだにエリザベス女王のいないイギリスが想像できない状態でした。イギリスには特に縁の無い人間ですら寂しさをおぼえてしまうという、それだけ影響力がある存在なのだと思い知っております。
筆者の大好きなお菓子のひとつ、スコーンもイギリスのお菓子といえます。(同名のスナック菓子とは異なります)スコーンとつぶやくだけで、何やら素敵な風景がいろいろと浮かんでくるほどです。これほど好きなのに、初めての出会いが思い出せません。あまり洋菓子を食する家庭ではないので、おそらくは姉が持っていた美麗な本『赤毛のアンのお料理ノート』『赤毛のアンの手作りブック』などを垣間見て妄想ふくらませていたのではと想像します。
カナダもかつてはイギリスの植民地であり、とくに赤毛のアンの舞台となったプリンス・エドワード島はスコットランドやアイルランドからの移民が多い地域。赤毛のアンのアニメや映画には、スコットランドやアイルランドでおなじみのバグパイプも流れてきたような記憶があります。
スコーンの歴史を調べてみると、女王が亡くなられたバルモラル城のあるスコットランドが由来とのこと。いままでスコーンとバグパイプの音をあまり関連付けていなかったのですが、これからはスコーンと想像すると、BGMにはバグパイプの音が響き渡りそうです。
「イギリス」とひとくくりに述べてしまいましたが、ご存じの通りイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの連合国家。それぞれに確執の歴史があり、特にスコットランドの女王メアリー・スチュアートがイングランドの女王エリザベス一世に処刑されたこともありました。ですが先日亡くなられたエリザベス二世の系譜をたどると、スコットランド王室の血がしっかりと流れていることがわかります。さらにはドイツやロシアとの縁戚関係も明らかです。
「スコーン=イギリス」のイメージでしたが、イギリス自体が複雑な歴史を重ねてきていることに気づかされます。おいしさは国境や人種や歴史を超えるのだなとも思いました。これからも大好きなスコーンを味わい続けたいと思う今年の10月です。」
[参考・画像]https://rurubu.jp/andmore/article/12921
このひとくちで栗の美味しさを堪能でできます
「中津川の栗きんとん!? うわ、うれしい!!」
コロナ前の出来事となりますが、久々に会う友人にデパ地下でたまたま購入した「栗きんとん」をお土産に持参したときのこと。自分では気づかなかったのですが、「中津川」の文字が包装紙に印字されていたそう。聞いてみれば友人のご両親が岐阜県中津川市の出身らしく、長らく親しんでいるお菓子だったとのこと。予想以上に喜ばれたので自分もちょっと舞い上がり、その時以来好印象を持ち続けているお菓子です。
「栗きんとん」というと、おせち料理をイメージされる方も多いと思いますが、同じ栗とはいえ、まったく違った味わいを楽しめます。岐阜県中津川市を中心とした地域の郷土菓子である「栗きんとん」は、おせち料理よりも、栗そのものを味わえる感覚が強いです。
事実、絶品です。いろいろなお店から出ており、好みがあるかと思われますが、大概おいしいのです。
ひとくちで軽くいただけるサイズなのですが、侮れません。
友人の喜びようも納得。その一口に、栗のおいしさ、味わいが凝縮しているように思えます。
9月はこの「栗きんとん」が店頭に並ぶありがたい季節でもあります。と同時に2022年も終盤にむけて進む時期となりました。街中でさっそくハロウィングッズを見かけた時はドキリとしまうほど、時間の速度は増しております。
いろいろと厳しい状況が続いておりますが、9月ならではの美味しさに感謝しつつ、前に進んでいきたいと思います。
[参考・画像]https://tvcooks.blog.fc2.com/blog-entry-2460.html
もう一度食べたい赤福氷
夏真っ盛りの8月、かき氷が美味しい季節ともいえます。
最近は、もはやかき氷とはいえないような姿形とお値段に変わっており、時代の流れを感じるお菓子の一つとなりました。自分の知るかき氷とは何か違うとの思いからでしょうか、まだ流行のタイプはいただいたことがありません。
私の中でかき氷といえば、お祭りで食べたシンプルで彩り鮮やかなものや、自宅で家庭用のかき氷機と格闘しながらガリガリ回したあとに好きな色のシロップをかける時の快感などを思い出します。
伊勢神宮のお参り帰りに食べた赤福氷は忘れられません。いろいろと自由に行動できていた頃、夜行バスに飛び乗り伊勢神宮へ直行、朝いちばんでお参りを済ませ、赤福本店向かいのお店でいただいたかき氷(赤福氷)は達成感と満足感が得られました。
抹茶蜜がかかったかき氷を食べ進み、中から赤福の餡とお餅の姿が現れたときは、餡とお餅に挨拶したくなるようなうれしさを今でも覚えております。
当時の感覚ですと、あの赤福がそのまま入っているのかと思いましたが、どうやら赤福そのものではなく、かき氷にあわせた餡とお餅が使われているそうです。冷たくなっても美味しくやわらかい工夫などがされているのかなと想像します。
ふと思い立って、先頃かき氷をデパ地下の喫茶店で食べてみました。伝統的な宇治金時をいただきましたが、久々のせいか加齢のせいか、そのボリューム感がすごいと気づかされました。
かき氷イコールもとは水、という感覚ではないのだなと自分のこれまでの思い込みが覆され、夕ご飯一食分ぐらいの満腹感が得られました。当たり前ですが、芯から涼しくなります。舌から徐々に身体が冷えいく感覚、たまにはよいです。
あまり遠出もしづらいご時世、見た目も涼しく美しい、自分サイズの涼感スポットにもなるなぁと感じました。
今夏中には、敬遠していた谷中の有名かき氷店で、ゴージャスなかき氷をいただき、美味しさと冷涼感を体験してみようと思います。
[参考・画像]https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/06/44/f5/bc/caption.jpg
今年も折り返し点の7月に突入です。
夏らしいとはいえ、ひとたび外出すれば蒸し焼きや照り焼きにされてしまいそうな天候が続いております。まだスタートしたばかりでこの暑さ、先行き不安が拭えませんが、なんとか乗り越えていきたいところです。
ただ歩くだけでも心身溶けてしまいそうな時は、冷たく甘く、口の中でとろけるアイスクリームで心身回復させたくなります。
アイスクリームといっても、さっぱりシンプルなタイプから、フルーツやナッツ、洋酒の入ったゴージャスな味わいのものまで多種多様です。
昭和生まれの筆者が時折無性に食べたくなるのは、「アイスモナカ」です。コンビニなどで多く見かける長方形のアイスモナカも好きなのですが、町中の甘味屋さんなどの店頭で販売されている、丸い形のタイプが大好物です。昔ながらの「アイスクリン」とよばれるようなさっぱりした味わいのアイスと最中のパリパリ感がたまりません。
おそらく幼少期の記憶がすり込まれているのだと思います。
冬場は今川焼(大判焼)を売っていた甘いもの屋さんが、夏になるとこのタイプのアイスモナカを売っておりました。既に何十年も前にそのお店は無くなりましたが、今川焼の温かさとアイスモナカの冷たく甘い美味しさは忘れられません。
街歩きの代表格ともいえる谷根千にある「芋甚」や上野の「みつばち」でこのタイプを味わいに、わざわざ出向くこともあるほどです。
地獄の釜のような暑さ、とも表現されてしまう今夏、自分が暑さで溶けそうになりながらも、懐かしい美味しさを求めて街に出掛ける自信は強くあります。
おいしさは最強の生き甲斐かもしれないと思いつつ、夏の暑さも楽しめるようになりたいこの頃です。
[参考・画像]https://sweetsvillage.com/wp-content/uploads/2019/04/ aef6dbc32240ff4154a7707e9ef25da929b53fbe_l.jpgl
夏が近づくと、あの食感が無性に恋しくなります。それは和菓子の「葛桜(くずざくら)」です。葛桜は、こし餡を「くず」で包み、桜の葉で巻いたり、葉の上にのせるなどし、見た目の涼やかさとともに味わえる夏のお菓子です。
個人的には夏の和菓子の代表格「水ようかん」よりも好みです。お店によって、いろいろな形があるのですが、青い桜葉からこぼれ落ちそうで、どろりといびつな形をしているタイプに惹かれます。うっすらと餡が透けているあたりなども含め、緑多い川岸の冷涼な景色を手のひらサイズにまとめたような雰囲気です。
見た目だけではなく、冒頭に記した食感はくせになります。こし餡の甘みと、くずのつるりとしていながら食べ応えがあり、少し冷たいのどごしの心地よさ。好みのタイプを求め、買いに走りたくなります。
葛桜のくずは、その名の通り葛の根のデンプンからとった「葛粉」から作られます。くずは「接触冷感」で、実際の温度は低くなくても口にいれると冷たく感じるという特性をもっており、見た目だけではなく食材としても夏にぴったりといえます。
が、ご存じの通り、くずといえば「くず湯」。こちらは飲んだ後まで残って体もほかほかと癒してくれます。保冷であると同時に保温効果もあるという活躍ぶり。
そもそも、葛の根っこは平安の昔から薬として重用され「葛根湯」など、現在も風邪薬などに使われております。デンプンの中で最も粒子が細かいため吸収されやすいので内臓にやさしく下痢や風邪をひいた時に効果があるのだとか。
そんないいところ尽くめのくずですが、弱点もあります。温度変化に弱く、葛桜のちょうどいい粘度を作るのには、熟練の経験が必要とのこと。熱すぎると形になりにくく、冷やしすぎると形にはなりやすいのですが、かたく白く濁ったような質感となってしまいます。
和菓子店で並べられている葛桜の半透明な涼やかさは当たり前、と思いがちですが、熟練の技があってこそなのだなと改めて思い知ります。
敏感な特性をもったくずのお菓子は、基本は常温。食べる直前に冷蔵庫に入れ、何よりもその日のうちにいただくことをおすすめします。
職人さんが丹精込めて仕上げたお菓子を味わえることは、幸せなことなのだなと改めて気づかされております。 おいしく、身体にもよい葛桜をいただきながら、今年の暑さを乗り越えていきたいと思います。
[参考・画像]https://www.kadohachi.co.jp/namagasi/kuzuzakura.html
新緑の季節です。ですが厳しいニュースが絶えず、暗い気持ちがどこかに引きずっているようです。とくに、言葉について考えさせられております。ニュース記事を読みながら、状況を想像して打ちのめされることがよくあります。言葉によって救われもしますが、苦しむことがあるというのは、判っているつもりですが、言葉の連なりである記事を読むだけで、恐怖を覚える状況はあまり経験しておりませんでした。
言葉のマイナス面に浸かっておりましたが、偶然ある映画を観て考えを改めました。『博士と狂人』というオクスフォード英語辞典を編纂した人々を描いた内容でしたが「言葉は人々を自由にしてくれる」、というセリフが心に残りました。何度か聞いたことがあるような内容ですが、確かにそうだと納得でき、マイナスから脱することができました。自分の気持ちを自由に感じ、他者に表現できる言葉を使えることは自由だと思います。ただ、両刃の剣でもある自由、使い方が難しいです。
そんなとき、「リーフパイ」をふと思い出しました。皆様ご存じの葉っぱの形をしたパイですが、数十年前から、あるお店のリーフパイが特に好きで、機会があれば差し入れやご挨拶時にお土産として持って行っておりました。
自分の気持ちを「リーフパイ」に載せて、渡していたと思います。言葉の葉と「リーフパイ」のリーフ、たまたまですが、何か重なります。
なぜ日本語で「言葉」というのか、いろいろと諸説あるようですが、その一説をご紹介いたします。
「言葉」の始まりは奈良時代。当時は「こと」と言われていたそうです。漢字で表す場合は「言」「事」などが、当てはめられていたのですが、次第に「こと」は、「事」の方の意味でとらえられるようになってきました。平安時代になると「ことのは」「ことば」と言われるようになります。漢字にすると「こと」は詞や辞で、「は」は端や葉が使われるようになります。
そして、当時の古今和歌集で紀貫之が「やまとうたは 人の心を種として よろづのことの葉とぞ なれりける」と詠みました。平仮名が多い当時の和歌で、漢字を使うのは印象的で、人の心から言葉が生まれる様子を葉っぱにたとえたこの歌で、「言葉」の「葉」の字が定着したと考えられているそうです。
緑がキラキラしているこの時季、気になる事に考えを思い巡らし言葉を自由に発しながら、サクッとしたリーフパイを口にできる自由は最高で大事なことだなと改めて思います。
[参考・画像]https://mifurusato.jp/item/ITM19211200002.html
あっという間に桜も満開となりました。季節の移ろいの速さに心身追いつけず、国内外では厳しい現実が立ちはだかり、考えさせられる毎日です。なにかと立ち止まってしまいがちですが、本来であれば芽吹き、色づき、動く季節のはず。この時季にふさわしいお菓子「お花見団子」をいただいて、元気を出したいところです。
●お花見団子は、ピンク・白・緑の3色のお団子が一本の串に刺さったものをいい「三色団子」ともいわれます。
●お花見団子の由来
1598年に豊臣秀吉の命で開催された「醍醐の花見」が由来です。この頃の団子は白一色で、甘くない団子に醤油などをつけて食べるのが一般的でしたが、団子好きだった秀吉が、見た目も美しく甘い三色団子を考案させたそうです。これをきっかけに、お花見には「宴会、三色団子」という風習が全国的に広まり、江戸時代になると庶民の間でも流行するようになりました。
●お花見団子の色と順番
お花見団子は、その見た目が春そのもの。うすいピンクに白、緑の三色にはいろいろな意味が込められています。諸説ありますが、ご紹介いたします。
❶ 季節を表す説
ピンクは桜の咲く春、白は雪の降る冬、緑は葉が生い茂る夏を表しています。なぜか秋だけがありませんが、そこには「秋がない=(食べ)飽きない」というダジャレの意味合いがあるようです。
❷ 3色で「春」を表している説
こちらの場合は、ピンクが桜、白は白酒、緑がよもぎとなっています。春を象徴する桜や春の野草でもあるよもぎに加え、白酒というお祝いの席で飲まれていたお酒です。
❸ 色の順番
桜が咲く順番を表していると言われています。ピンクは桜のつぼみ、白は満開時の桜の花、緑は散った後の葉桜の様子だそうです。早春の景色を表しているという説もあり、ピンクは春の太陽、白は名残雪、緑は雪の下に芽吹く新芽と言われています。
色と順番にこめられた意味を考えると、一串のお花見団子には自然の力を凝縮したようなエネルギーが込められているようです。
立ち止まっても、お花見団子を味わいながら、前に進んでいきたいと思います。
少しずつ日が長くなり、寒さもほぐれ始めてきました。コロナだけではない、厳しいニュースに包まれてしまいましたが、3月を迎えました。いろいろと動き出す時季でもあります、少しずつでも前に進みたいと思います。
昨年末、数年ぶりに会った友人から地元のお菓子屋さんで購入したという「ロシアケーキ」をお土産にいただきました。
見た目と言葉の響きがなんとも懐かしくなり、サックリとした味わいも好みで一気にハマりました。
ロシアケーキとは、はっきりした定義はないようですが、ケーキというよりはクッキーの一種です。一枚焼いたクッキー生地の上に、メレンゲやマカロンやクッキーなどで作ったデコレーション生地を絞り出し、ジャムやチョコレートを塗ったり、ナッツなどをのせて再び焼き上げます。こんな風に二度焼きされたクッキーをロシアケーキと呼ぶそうです。別名はロシアンクッキーとも呼ばれています。最近では「昭和レトロなお菓子」として注目もされているようです。
なぜ「ロシアケーキ」と呼ばれているのか、それはロシア人菓子職人スタンレー・オホツキー氏にたどり着きます。昭和6年、ロシア皇帝お抱えの製菓技師だった彼は、新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵氏に招かれ、多くのロシア菓子を日本に伝えました。このオホツキー氏にあやかって日本で命名されたため、現地で「ロシアケーキ」が食べたいと言っても通じません。
懐かしのお菓子として、「シベリア」もよく登場しますが、ロシアケーキは日本で命名された西洋のお菓子といえます。
名前を言われてピンと来なくても、実物を見ればその正体は昔ながらの身近なクッキー。同じクッキーなのに、ロシアケーキと呼ぶと、なぜだか味わい深さと懐かしさが増してしまう錯覚に陥ります。
その響きが懐かしささえ醸し出す身近なお菓子。
同じような響きでも、厳しい現実を背負っていることに改めて気づかされる今年の3月です。
[参考]https://www.kashikobo.co.jp/SHOP/736722/list.htm
はやくも2月を迎えてしまいました。落ち着かない状況ですが、マスク越しにも梅や蝋梅の香りが届く頃。感染対策に気をつけながら、少しずつでも前を向いて進んで行きたいと思います。
2月のお菓子と言えば、やはりチョコレートが欠かせません。バレンタインがチョコレート一色に染まるのは日本だけのようですが、お菓子好きとしては大歓迎なイベント。いま真っ盛りのバレンタイン商戦を楽しみたいところです。
チョコレートのお菓子で、何がベストかを考えると、たくさんあり過ぎてなかなか選べません。30円ほどで買える「チロルチョコ」、ファミリーパックでたっぷり楽しめる「たけのこ里」や「キットカット」。そして、まずはパッケージの煌びやかさや質感に見とれてしまい、気軽に口にできない高級な出で立ちのものまで様々なタイプがあります。自分用かプレゼント用か、お財布事情と気分にもよるのですが、それでも様々ありすぎて、選ぶのが難しい。とても幸せな悩みです。
この状況に対して、数十年前に受けたた現代社会の授業が頭をかすめます。「カカオの生産国の一つであるガーナの子供達のほとんどはチョコレートを食べたことがない。しかも、子供達がカカオ生産に関わっている(児童労働)のに」、との内容でした。
当時衝撃を受けたこの現実、いまはどうなっているのかが気になります。ネット記事等で確認する限り、あまり劇的な変化はない状況でしたが、大企業に対する規制や支援団体により、改善されつつあるとのことです。同時に、児童労働や環境問題を考慮した「フェアトレード」のチョコレートの存在も紹介されていました。
選ぶのが難し過ぎるチョコレート、今年はフェアトレードチョコレートを選んでみようと思います。
[参考]
https://ethical-leaf.com/929
https://withnews.jp/article/
f0200214001qq000000000000000W0e611101qq000020523A
2022年がスタートいたしました。コロナ禍となって2回目の年明けとなりますが、オミクロン株への警戒はあるものの、人流はある程度戻ってきたように思えます。
今年も感染対策を徹底しつつ、できる範囲内で動き続けていきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、こちらのコラム、今年はお菓子をテーマといたします。「お菓子」という言葉をつぶやくだけでも、どこか癒やされるようなパワーがあります。
そもそもお菓子とは、食事以外の嗜好品として食べる食品を意味しています。生命維持を目的とせず、空腹を満たすだけでなく、心理的な満足感を楽しみ味わうための食品といえます。お菓子のなかには和菓子・洋菓子・水菓子(くだもの)と幅広い種類があり、一言では語れない世界が広がっています。
さて、今回はそんなお菓子ののなかから和菓子の「椿餅」をご紹介します。
椿餅は、筆者が和菓子店の販売員だったころ、二番目に好きな和菓子のひとつでした。販売期間は短いのですが、年明け後、これから寒さ本番という時季に、椿の緑濃い葉に挟まれた道明寺のもちもちした食感が心地よく、いくつでも食べられるような食欲におそわれるほどでした。
実はこの椿餅、日本最古の餅菓子のひとつであり、あの「源氏物語」にも登場しています。平安貴族の若者が蹴鞠の後に食べていたのだとか。筆者は仕事の合間に濃い緑茶をお供に楽しんでいました。年明け後は、年末とはまた違った慌ただしさが続きます。お昼もパパッと流し込むように食べてしまいがち。ですが、お菓子をいただく時は、心身ほっとできるような時空が確保できるように思えてしまいます。
先行き不透明な状況が継続中ですが、お菓子の存在に助けられながら、新しい一年を満喫していきたいと
思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
画像 https://www.sennenq-ninkatsu.jp
参考URL https://wagashi-season.com/%E6%A4%BF%E9%A4%85/
毎年テーマを決めて月に1本ずつブログをアップしていきます。今年は野菜です。
2021年も最後の月となりました。今年もコロナに振り回された一年と言えますが、「Withコロナ」の覚悟が根付いてきた一年でもあると思えます。ようやく落ち着いた矢先の新種オミクロン株など、なかなか抜け切れませんが、今できることに感謝しつつ、前に進んで行きたい心境です。
さて、野菜を取り上げた今年のコラムも最終回。今回は「ホウレン草」を紹介します。
私たちの生活にとっては、当たり前過ぎる野菜です。一年中出回っているため、旬はいつなのか、はっきり答えられない筆者でしたが、改めて調べてみると旬はまさに今、11月から2月という冬野菜です。
●この時期のホウレン草は味、栄養価ともに最もピーク
ホウレン草は寒さに耐えられる野菜であり、むしろ、寒さ厳しい環境に置かれるとより甘くなるのだそうです。さらに冬のホウレン草は夏採りのものに比べてビタミンCの含有量がなんと3倍にもなるのだとか。ただし、茹でたあと水にさらし過ぎると、ビタミンCが流れ出てしまうので、その点は気をつけた方がよいようです。
●美味しい食べ方
アクが強いので加熱して食べるのが一般的。ホウレン草といえば、「おひたし」と連想してしまいますが、和食、洋食、いろいろな料理で大活躍。食感を楽しんだり、料理の仕上げに緑が欲しい時の彩りとしても重宝します。
●思い出のレシピ
個人的に思い出のある食べ方としては、「てっしょう鍋」です。
父の数少ないレシピの一つであり、正式な名称などなく、我が家だけで呼んでいたのかもしれません。
作り方はごく簡単。とにかく大雑把でOKです。
・材料 ホウレン草・豚こま(お好みの量)
ごま油 生姜 醤油(適宜)
・温めたホットプレートにごま油で豚コマを炒め、生姜を入れて軽く炒め、最後に生のほうれん草をババっと入れてサッと炒めます。
・しんなりしたら、醤油をシュッとかけて完成。ごま油と生姜の香りに食欲がそそられ、ご飯が進みます。
短時間でパパパと仕上がるので簡単に済ませたい時にもおすすめですし、ホットプレートを囲みながら食べたい時などにもお試しください。
厳しい環境こそ、美味しく栄養価もアップするというホウレン草、人としても見習いたいと思います。
参考URL https://macaro-ni.jp/48523?page=2
今年も残り2か月足らず。ようやく解除された緊急事態宣言のせいでしょうか、やっと2021年を楽しめる状況になったような心持ちです。
外食もある程度自由になり、美味しい料理とお酒を味わうことができるようになりました。徐々に戻ってきた日常に感謝の気持ちでいっぱいですが、胃袋の方はまだまだ食欲の秋が続行中、限界しらずの状況です。
さて、「かぶらライン」という言葉をご存じでしょうか。「かぶら」とは「カブ」の別名ですが、カブは「日本書紀」にも記録があるほど歴史のある野菜。そのため全国各地に在来種があるそうです。主に東日本にはヨーロッパ経由で伝わった洋種系、西日本には突然変異で生まれ、発達したと考えられる和種系が多く存在するそうです。その境界線が関ヶ原付近にあり、「かぶらライン」と呼ばれているのだとか。
いつか各地の在来種を食べ比べしてみたいほど、筆者はカブ好きです。カブがすごい理由3つのポイントをまとめてみました
●時短料理
栄養豊富なだけでなく、時短料理にぴったりな野菜でもあります。
同じように根を食べる大根に比べると、カブの魅力は柔らかい肉質。薄切りにして生のままサラダにしてもおいしく食べられます。また、その柔らかさによって、煮物にした場合も調理時間が短く済みます。同じサイズに切った場合、カブは大根のおよそ1/2の時間で十分火が通るのだそう。
●子供から高齢者まで人気
柔らかい肉質な上、寒い時期のカブは甘みが増しおいしくなります。加熱すると甘みも柔らかさも増すため、野菜が苦手な子どもから、固いものが食べにくい高齢者にもおすすめです。
● 葉っぱの栄養がすごい!
実はカブの葉は、白い根の部分より栄養価が高いのです。
カブの葉は、免疫力を高めるβカロチンが非常に豊富な緑黄色野菜。その他にも、カルシウムや鉄分も多く含みます。βカロチンは油に溶けて吸収されるビタミン(脂溶性ビタミン)なので、油を使って加熱すると栄養を効率よく摂ることができます。
刻んだカブの葉をごま油で炒めて醤油をかけてふりかけ風にする
さっと塩茹でしてごま和えにするなどもおすすめ。
これから旬のカブを味わいながら、年末に向けて心身の栄養補給を楽しみたいと思います!
参考URL https://tokubai.co.jp/news/articles/3810
気がつけば今年も残り3ヶ月、10月に入りました。久々に緊急事態宣言も解除となり、長い沈滞状態からようやく起き上がるような感覚です。まだ収束とはいえない状況ですので、貴重な解除期間を大切に過ごしたいと思います。
食欲の秋まっただ中ですが、スーパーの野菜コーナーでは高騰がつづき、トマトを取る手も震えます。そんな中、安定した価格で頼りになる食材が「きのこ」です。野菜コーナーにはありますが、ご存じの通り、野菜ではなく菌類です。生鮮食品としては野菜と同じ「青果」の仲間といえるので、今回は「きのこ」を取り上げてみます。
菌類は推定380万種類という途方もなく膨大な種類があると考えられています。そんな菌類の一つである「きのこ」、倒木や切り株などによく発生したことから「木の子」と言われるようになりました。カビに近い仲間で、樹木や落ち葉などを栄養源とし菌糸を張りめぐらせます。繁殖に必要な胞子を生産するため、菌糸の集合体である「子実体(しじつたい)」と呼ばれる器官を作ります。この「子実体」こそが「きのこ」と呼ばれている部分です。
私達が「きのこ」と呼ぶ「子実体」は、生物学的には、きのこの「体の一部」にすぎず、本体は木の中や地面の中に張りめぐらされている「菌糸」の方といえます。
そんな「きのこ」、日本には、約5,000種類も存在していると言われています。このうち食用きのこは約100種類、毒きのこは200種類以上が確認されていますが、その他の大半については、食毒が未だ不明です。
縄文時代の遺跡からも食用とされていた痕跡があり、古くから「森の恵み」、「秋の味覚」として親しまれてきました。今では栽培技術の進展によって、いつでも手に入れることができるようになり、より身近な食材となっております。
食材としてだけではありません、その効能により健康食品としても活用されてきました。とにかく低カロリーで、腸内環境を整える食物繊維が豊富。おいしいさだけでなく、健康で丈夫なからだをつくる健康成分をたくさん含んでいる貴重な存在です。
菌類である「きのこ」、その実体は目に見えない世界に広がっています。DNA解析結果によると、植物よりも、ヒトに近い存在なのだとか。不思議さが募ります。
秋の味覚ともいえる「きのこ」を入口に、菌類の世界とまだまだ未知の領域が広がっている世界に、改めて気づかされる10月です。
参考URL「林野庁 きのこのはなし」 https://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/kinoko/#syurui
今年も9月がやってきました。いま、この東京ではパラリンピックが開催中です。平和の祭典とされるオリンピック閉会後、アフガニスタン政権は米軍撤退前に崩壊しタリバンが復権しました。8月15日、日本にとっては終戦の日です。
アフガニスタンといえば、中村哲医師の名が刻みこまれたように思い出されます。長年にわたりアフガニスタンとパキスタンの人々の支援に取り組み、砂漠に水を引き、農村復興への道筋を創りました。
かつては人口9割が農民であり、果物・野菜の生産が豊富な輸出国であったアフガニスタン。ニュース映像を通して伝えられる状況からはほど遠いイメージです。内戦や空爆、干ばつにより農地は砂漠化し、多くの住民達が飢えと渇きの犠牲になりました。中村医師の足跡を一言では語れませんが、現地の人々のためには農村復興が必要であると、文字通り命を尽くしました。
そもそも、アフガニスタンはニンジンの原産地であるとされ、今でも紫色や黄色など様々な色・種類のニンジンがあるそうです。 最近では、「ブラッシカ・ラパ」の原産地であることも解明されております。「ブラッシカ・ラパ」はアブラナ科アブラナ属の野草で、カブやチンゲンサイ・白菜・コマツナなど様々な栽培植物の原種です。アフガニスタンとパキスタンの国境に近い山地が原産で数千年前に栽培化されたそうです。
パラリンピックのシンボルマークは「スリーアギトス」。「アギト」とはラテン語で「私は動く」という意味で、「困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現」しているとのこと。この一文、中村哲医師の姿にも重なるように思えます。
アフガニスタンに限らず、紛争や災害は相次ぎ、国内でも災害やコロナ禍から抜けられずにいます。この期に及んで、どこか現実味を感じられない自分に気づくのですが、東京でパラリンピックを開催している事実と、中村医師が存在していたこと、そして食卓でおなじみの野菜のルーツがアフガニスタンであることを知ると、やはり地球上に起こることは全てつながり合っているのだなと、改めて実感します。
参考URL https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/061700305/
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_612488b4e4b0df3eacd6744c
一年で最も暑い季節がやってきました。同時にオリンピックも盛り上がっております。様々な意見が飛び交っておりますが、この炎天下を駆け抜ける選手はじめボランティアの方々に尊敬の念を抱かずにいられません。
夏真っ盛りにはスイカがよく似合います。先日、珍しいスイカを頂きました。果肉が黄色いスイカは時折見かけますが、そのスイカは表皮が黄色で果肉は真っ赤、皮はうすく果肉がみっちり、みずみずしいその味わいは、私の人生で食べたスイカの中でベスト3に入ります。
調べてみると、「愛娘ひなた」(まなむすめ ひなた)というかわいらしい名前の品種にたどり着きました。(ほかにも種苗会社によっては同じ色合で「太陽」 「ミニ太陽」「黄坊」など、様々な品種があるようですが)名は体を表すという通り、日なたのような明るい黄色の表皮。モヤモヤし続ける昨今の状況に、この明るい色合と味わいは元気を与えてくれます! そもそもスイカは果物かと思いきや、分類上は野菜になるそうです。が、果物として利用をされることが多いため、単なる「野菜」ではなく「果実的野菜」として扱われています。農林水産省によると、野菜と果物の分類にはっきりとした定義はなく、生産や流通によって決め方が異なるそうです。
例えば一部の卸売市場では、スイカは野菜として出回りますが、八百屋やスーパーでは消費者が消費するかたちに合わせて、「果物」として扱われているのが現状とのこと。 スイカ好きな人間からすると、分類や区分けなどは全く関係なく、美味しくて安全であればOKなのが本音。果物なのか、野菜なのかを考えると、昨今のLGBTQまで想像が膨らみ、そもそも同じ地球生まれだよとスイカは語ってくれているような気がする今年の夏です。
参考URL https://macaro-ni.jp/40783
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